昔ばなし
まだ障害者になる前に私はテストで毎回97〜98点は取れる人だった、親に褒められたい一心で懸命に勉強した。しかし親自身が完璧主義であって残りの3点を詰められる日々が続いた、結果的に100点でないと認めない完璧主義は見事に受け継がれたのである。
それから
学生時代、私は完璧主義にどっぷり浸かった、絶対に折れる訳にはいかなかった。完璧さだけが自分を支えてくれた、たくさん勉強してたくさん屁理屈を学んだ。完璧主義の親と何度もぶつかって打ち負けたり打ち負かしたり、沢山の口喧嘩をした。
完璧な自分や勝つことに優越感を覚えた、100点のテストは自分に価値を与えてくれた。他人の言い返せなくて黙る顔を見る度に愉悦感を覚えた。親の優しい友達を言い負かす度にジャイアントキリングをした気持ちになった。
斜に構える事が好きだった、ニュースを集めて熱く語る人々を笑うのが好きだった、今で言うなら冷笑界隈という奴だったのだろう。
当然の結末
無論そんな事が長続きするはずもなく、人はあっという間に離れていった。1人になってもかなりの期間を他人のせいにしていたが、結局誰も戻っては来なかったので流石に自分のせいだと気づき始めた。
謝ろうかとなっても出来なかった、完璧主義という薄氷を割った時、自分が奈落に沈むのではないかと恐怖したのである。間違いだと気づいても正すことも出来ずに進むしかない、ドツボにハマった。
最初の改善
それを解決できる出来事は、意外にもアルバイトの上司であった。絶対的な上下関係の前には謝罪が素直に出るのである、それから私は謝らねばならない時に相手の顔を上司に置き換えて謝った。苦しかったが自分の肥えきったプライドをダイエットするような意気込みで謝り続けた。
上司は神のような人で私の完璧主義にいち早く気づき対策を与えてくれた、それが「80%の完成度を完璧に行う事」である。目標を80%にすり替えて貰えたので、後は80%に向かって完璧主義すれば良い。慣れてくると手が抜けるようになってきた、良い変化だった。
しかし、「より良く、より高みに、より上に」という気持ちは最悪の結果を招くまで無くならなかったのである。
大失敗
当時の私は良くあろうとする事は悪くないと思い続けていた、そこで転機が起きる。
同棲した彼女が家事が出来ず、仕事も殆ど出来ず、私が欲しいと言い続けてきた子供を要らないと言われてしまったのである。一時的な物ではなく、永遠に続くと言われてしまった。私は結局別れることを選んでしまった。
その後何度か復縁しかけたりもしたが、その度に過去の栄光に縋っている事を思い知らされ。徐々に距離は離れてゆき、結局戻る事は無かった。
気づき
私は沢山泣いて、少しだけでも固い物を食べると吐き戻すようになってしまった、ウイダーだけで辛うじて食いつないだ。
絶望の縁で私が、自分で選んだ事で何故こんなに泣いているのか問答していた。
そこで思い出したのは、そもそもテストの点を気にしたのは親の笑顔が見たいからで、より良い生活を望んだのは彼女の幸せを願ったからな事だった。
全てが手遅れになってから、ようやく全てに気づいたのだった。
奉仕
それから、多くの人を悲しませてきた私はその分人の為に生きようと決めた。仕事でも汚れ仕事を真っ先に引き取り、落ちてるハンカチは拾い、ゲームでも地味な役を買って出た。
そうしていると、自然と良いコミュニティとの縁が開けた、沢山の善良な人と会い苦楽を分かち合うと、今の自分を認められるようになってきた。
残念ながら完璧主義の親は他界してしまったが、もう片方とは仲良くなれた。相手の笑顔が増えて自分の笑顔も増えた、仕事も責任も増えたのに鉛のように重かった心が嘘のように軽くなった。
まとめ
完璧主義になるのも、脱却するのも沢山の要因が絡んでいたので再現性は低いかもしれない。だがあえて上げるなら、それは他人からの感謝、完璧でなくても居られる居場所なのだと思う。
最後に、ここまで改善させてくれた人達に、今これを読んでくれている人達に感謝を込めて。ありがとう。

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